募集パッケージPackage
魚男(フィッシュマン)
業界関係者も唸る博多の『変態系』の超エンタメ業態で、繁盛店を量産中。
首都圏において10店舗限定で「魚男」的業態のプロデュース行います。
フィッシュマンスタイルの特徴
1億人向けではなく70億人向けのより楽しく、より価値の高い店づくり
【テーマパーク】
・エンターテイメント性
・楽しさ
・トレンド
・面白さ
・画期的な提供方法
・魅力
+
【進化した料理】
・和洋の三ツ星レストランの料理
・最新の調理機器
・最新の調理技術
・科学×料理
・季節感のある料理
・食材へのこだわり
→お客様は楽しい場所に集まる
そして、
今の時代のお客様はより画期的な楽しみと、より画期的な料理を欲している
「フィッシュマンスタイル」4つのポイント!
①価値を高めるデザイン性
②お客様を驚かせ楽しませる料理
③印象に残る料理
④最先端の技術と機器
フィッシュマンに最適な物件と人材
【物件】
最適坪数:25坪~35坪
エリア:1都3県の主要駅周辺
フロア:1階路面店がベスト
家賃:坪20,000円以下が望ましい
【人材】
・マネージャー/マネジメント経験のあるホールスタッフ
・料理長/和食の調理場経験者
フィッシュマンスタイル プロデュース実施の流れ
①オーナー面談の実施
↓
②最終意向確認
↓
③契約書締結・前金入金
↓
④物件探索
↓
⑤プランニング・施工・人材の確保
↓
⑥残金の入金
↓
⑦オープン
↓
⑧フォローコンサルティングの実施
ただいま準備中です。
フィッシュマンインタビュー
日本の外食産業に変革と成長をもたらすかもしれない。M&Co.代表の森智範氏は、そんな予感をさせる業界きっての飲食プロデューサーだ。バブル期の高級レストランで下積み、サービスマンとして“一流”の味、サービス、技術、空間づくりを身体に叩き込んできた。その経験をいかして、高級店のそれを自由自在にカジュアルな日常使いの店に落とし込む手法は彼の真骨頂だ。フレンチレストランや分子ガストロノミーの調理器具や技術を居酒屋に取り入れる。レスラーなどの個性的なスタッフを起用するなど、同氏のつくる店は常に新しい体験をお客に提供し続けてきた。そんなクリエイターともいえる同氏が、飲食店プロデュースを通じて、日本の外食や食の在り方を変えようと動き出している。今回は、同氏独特の繁盛店をつくるプロデュース手法や今後の展望についてうかがった。
“繁盛店プロデューサー・森智範”ができるまで—「魚男」をはじめとした自社店舗以外にも、すでに飲食店プロデューサーとしても数々の実績をお持ちですが、森さんが飲食の世界に入ったきっかけは何だったんですか。
実は、そもそも料理に興味がなかったんです。たまたま友達が大阪の調理師学校に行くと聞いて、じゃ、俺も行くって。(笑)そのときは、ただ都会に出たかっただけでしたね。それで、辻調理師専門学校に入ったんですけど、興味がなかったから、大阪の街でよく遊んでいました。昼はペンキ屋やって、夜はキャバレーの呼び込みをしたり。(笑)ほとんど学校には行ってなかったですね。それでも卒業しなきゃ行けないので、一番人気のレストランと聞いていた「クイーン・アリス」に入社しました。「じゃ、そこでいいや」みたいな軽いノリでいったんですが、当時、「鬼の石鍋」と言われるくらいシェフが超厳しかったんですよ。面接で「僕、死ぬ程働きますから」と言って、合格。合格といっても、厳しすぎて人がどんどん辞めちゃう会社だったんで、20人入社して、1年後には5人、3年後には僕一人しか残ってなかった。入社して最初の一年間はホールをやっていました。ソムリエの真似事とかしながらワイン事典みたいなものを丸暗記して、「シャトー○△は、芳醇な香りがして××です」とか適当なこと言いながら。(笑)—その後、厨房には入らなかったんですか。
一度入ったんですが、3日で逃げた。(笑)逃げたというか、すごい怖い先輩で、寝坊したんですよ。で、行けなくなって。そしたら、石鍋さんが家まで迎えにきてくれて、「お前はホールをやれ」と。そこから本気で勉強しはじめて、20歳でソムリエ資格もとりました。そこで3年くらいやった後は、いろんなお店で経験を積みました。例えば、銀座の「ペリニィヨン」というフレンチのお店にいたときは、銀座のすごい客層を目の当たりにして衝撃的でしたね。「この人のお父さんが石油を輸入しはじめた人」だとか、お坊さんの偉い人とか、大物芸能人とか。そこでもサービスをやっていんですが、お客さんのことは全部覚えました。この人が何を飲むのか、ビールは、アサヒなのかキリンなのかまで細かいことまですべてです。サービスの面白さや奥深さが分かってきて楽しくて、とても勉強になりましたね。その後、また石鍋さんのところに戻って、銀座プランタンの店のマネージャーになりました。そこでは、当時2000万円くらいの売上だったのを、4000万円くらいまで持っていきましたよ。—すごいですね。どうやって売上を倍にまでもっていったんですか。
ただ単純ですよ。“お運びさん”だったのを“サービスマン”に変えたんですよ。お客さんを喜ばせる、楽しませるのがサービスマンですからね。それまでは、とても忙しいお店だったので、言われたことをやるだけでした。だけど、僕はお客さんに喜んでほしいから、手を変え品を変えやっていたんです。そしたら、売上がどんどん上がっていったんですよね。—なるほど。そうやってエンターテイメント、体験を重視する森さん流の店づくりの基盤ができてきたんですね。
そうですね。その後は、知り合いのお店の立ち上げやサービスの研修などコンサル的なことをやったり、数店で経験を積んだりして、15年前の31歳の時、福岡の「パロマグリル」で独立しました。 「クイーンアリスのような一流の料理をカフェスタイルで」というコンセプトで。ちょうどその時、フランスでもそういう流れがあって、ガストロノミーとビストロが融合したビストロノミーというのがはじまっていたんです。高級レストラン出身の若いシェフが料理はクオリティのままで内装はカジュアルでやる。それで、僕もそういうのをやってみようと。もう一つ参考にしたのが「ロイヤルホスト」でした。「ロイヤルホスト」みたいなスタイルでフレンチを出したら面白いんじゃないかなって。どの時間でもお茶もできるし、オムライスだけでも良いし、フレンチのフルコースも食べられる。そんなお店をつくりました。それがあたって結構ブレイクしたんです。「パロマグリル」があったのは、ラブホ街だったんですけど、やってみたらオープン当日から満席。15年間ずーっとそれが続きましたね。—当時の売上はどのくらいだったんですか。
17坪で最低でも600万円、多い時で1000万円くらいはずっと維持していましたね。高級食材を使った料理を客単価3〜4000円で出すには、原価の調整が必要。それには福岡ってすごい良い街なんですよ。少しいったら海があって、少しいったら山がある。だから、自分で取りにいけば抜群に安くなるんですよ。そういうのを組み合わせていきながら、原価をおさえる工夫をしました。—高級店の食事やサービスをカジュアルに落とし込むというのは、今も変わらない森さんのスタイルですね。
そうですね。そういう時代の潮目というのは当時から感じていました。お客さんはカフェと思って入ったら、レストランのクオリティというのに皆さん驚いていましたね。食事だけじゃなくて、接客にしても、食器にしても高級店のそれなんですよね。—それで、一気に話題の人気店になったと。森さんというと「魚男」のイメージが今では強いですが、こちらに付いて出店の経緯は。
2008年頃の、「磯貝」という居酒屋の大将と知り合ったのがきっかけです。話を聞いていると、本当にすごいんですよね。毎月1500万円くらい売上げていて、しかも利益率が4割~5割。それで、パロマグリル時代にいろんな商業施設から出店の話をいただいていたので、その中のひとつの百貨店に、当時百貨店に出店したがってた磯貝に魚市場で買えるライセンスの斡旋、鮮魚居酒屋の仕組みを教えてくれること条件に紹介し学び進化させたのが「魚男」でした。 パロマグリルのオペレーションはかなり大変だったので、誰でもできるようにしようと簡単にしました。—その際にマニュアル化など展開を考えていたんですか。
いえ、その時は考えていませんでしたね。まず「魚男」でやりたかったのは、一般的な居酒屋を少しデザインを変えてやろうということ。お刺身を階段皿に乗せようとか、そういうつかみを入れてみたりですね。最初は「磯貝」の繁盛している仕組みを「魚男」に置き換えてやっていましたが、それに加えてレストランのプレゼンの仕方や技術など、これまでの経験で得た要素も取り入れました。例えば、肉じゃがをケーキの形で出すのもそうですね。そしたら、思いのほかお客さんの反応がよくて。あとは、人がいなくて外国人をいれたりしていたんです。それもお客さんからの反応よかったんです。—当時、「魚男」はどれくらい売上げていたんですか。
最初の月で900万円くらいは売っていましたね。パロマグリルがすでに有名だったので、その系列店だということですぐにお客さんはつきました。 会社全体の価値を高める“オートクチュール型プロデュース”—すごいですね。それが御社にとって一つの展開型のひとつのベースとなっているわけですね。ところで今回、自社業態をそのままFC展開するというよりは、プロデュースに近い形になるとうかがいました。プロデューサーとして御社の強みはどこにあるとお考えですか。
そうですね。まず、なぜFC展開ではなくプロデュース型かというと、店の業態や仕組みというのは洋服みたいなものという考えが僕の中にあるからなんです。中身が違うとその服が似合わないこともあるじゃないですか。それよりも僕は、その人が似合うように仕立てたいんです。その会社の持っている強みを、僕を通して引き出して、カスタマイズしていきながら、その店がよりいい状態になればいい。例えば、僕がプロデュースさせてもらった大阪の「頂鯛」というお店。会社としては20年くらいやっているんですが、「頂鯛」をきっかけに一気にほかのお店の知名度が上がったんですよ。そうやって会社全体がよくなるような仕組みをそれぞれの強みをいかしてやっていきたいですね。—なるほど。一社一社それぞれに合った業態を開発するということですね。
そうですね。FCがプレタポルテだとすると、僕はオートクチュールでやる。FC展開は1や2を10にも20にもしていくことですよね。それよりも僕は0を1にするのが好きで、そっちの方が向いているんです。—まさにクリエイティブな部分ですね。
そうですね。僕はデザイナーみたいなもんです。ファッション業界は、経営者とデザイナーがいて、ひとつのブランドを創り上げている。何十年もブランドが陳腐化しないのは、クリエイティブな部分と経営の部分がはっきり分かれているからだと思うんですよね。その手法を飲食事業にも入れたらどうかと。 新たな収益源を生み出す核をつくる—飲食店のデザインというと、コンセプトからメニュー開発、店舗デザインなどの業態開発ですね。その際に、重視しているポイントは。
そうですね。これからの変化に対応出来る店づくりですね。例えば、2020年オリンピック前後ですごい時代は変わると思います。オリンピック後の世の中にも受け入れられる店づくりを考えなきゃいけない。それと、飲食店だけの収益では厳しくなると思います。だから、違う財布を持ちましょうというところまで提案します。A社ならA社だけの「魚男」をつくりますよ、と。そしたら、それが親会社となって、FC展開すればロイヤリティ収益にもつながる。千葉にあるお店なら、千葉の食材を加工して卸業もできる。 20兆円のレストランビジネスの市場を取り合うのではなくて、100兆円のフードビジネスから収益を生み出していこうということなんです。人が食べるいろいろなシーンにこっちが合わせていくべきなんです。「来てください、食べてください、飲んでください」というのではなくて、「おいしいご飯と味噌汁をつくってもっていきますから」とこっちから行かなきゃいけない。だから、うちは弁当事業やデリバリーもやっています。そうやって新しい事業や分野に広げていかなきゃいけなくなってきている。店だけにこだわっていると苦しくなってくると思います。新しいライフスタイルを提案できる飲食店にしていく。そんなイメージです。—広がりを持つ核となる店や会社を一緒に創っていくというプロデュースですね。
そうです。新しい飲食店の形をつくっていきたいんですよね。洋服屋だったら服を最初に買うだけであって、お店にいったらお茶もあったり、飲食もあったり。飲食店の場合も、ご飯だけを売るんじゃなくて、全部を提案する。24時間お客さんの生活にまとわりついてもいいじゃないですか。—なるほど。例えば、それがお店のオリジナルのグッズ販売など新たな収益源にもつながるわけですね。
そうですね。例えばお皿だったら、「盛りやすいよね、見栄えがいいよね」とか言いながらプロ目線で開発する。そしたらお客さんの自宅の食卓を華やかにできる。クリエイティブというのは、言い換えれば世の中をもっと楽しく、面白く、もっといえば幸せにすることだと思うんですよ。それを飲食店を通してやるだけです。 飲食店から新しい時代をつくりたい人、募集—森さんは居酒屋のプロデュースを多くされていながら、星付きレストランやアパレルショップなど、居酒屋以外のお店をとてもよく研究されていらっしゃいますよね。そういった異なる分野の要素を巧みにとりいれ、細部にまでこだわったストーリーのある店づくりで、数々の人気店を誕生させてきましたが、今、森さんご自身はどういった方と一緒にやっていきたいですか。
新しい時代をつくりたいと思っている人。チェーン店にしても、ネオチェーンみたいに従来のチェーン店から外れている人たち。それを今、一番求められていると思います。もっと外の業界を見て、事業をどんどんアップデートしていく必要があります。飲食店だけに凝り固まっているとこれからは生き残っていけないと思います。そのために僕みたいなプロデューサーを使ってほしい。飲食店はもう「おいしい」だけが売りではない時代です。いかに「楽しませるか」が重要になってきています。お客さんは楽しさを求めているんですよ。そうすればお客さんがSNSとか口コミでお店のことをシェアしてくれる。お客さんがそのお店にいくのは、新しい体験を買いに行くためなんですよ。そのために、まずは僕が核となる店をつくります。オーナーの凝り固まった価値観を外していきたいし、外したいと思っている人と一緒にやりたいですね。—飲食店という枠をとらわれない提案をどんどんしていくと。
そうですね。その街全体が楽しくなるように。食のプロデューサーになりたいんです。—そもそも森さんがプロデュースをしていこうと思ったきっかけは。
この歳になって思うのは、そういうのが好きなんですよね。自分がぐいぐいやって100店舗出すというよりも、こういう話をしながら、会社や人が成長していくのを見るのが楽しいんです。外から僕がプロデューサーとして入って見ると、その会社にとって足枷でしかないと思っていた者が、僕からしたら宝物に思えることもあるんです。そういう自身の可能性に気づいてもらえるきっかけになれたらうれしいですね。—最後にみなさんにひとことお願いします。
日本の外食産業というのは、間違いなく世界に誇れるものです。それをさらに突出させていきたい。悔しいんですよ。外国人が日本の要素を持って行って、むこうで上手くやっているのが。(笑)日本で新しい食文化っていうのを創りたいです。外国人が自国でやりたくなるような店を創りたいんです。それには新しい外食産業の形が必要なんです。こんな思いに共感していただける方なら大歓迎です。