1992年、武蔵小山に8坪だけの小さなスパゲティ屋がオープンした。名前は「スパゲティとすかーな」。”おいしいパスタ”を出すこの小さなお店に、初日から人は押し寄せた。それから25年。店は人を育て、数を増やし、たくさんの人から愛されるまでに成長を遂げていた。創業者は、四家公明氏。「料理を通じて人を幸せにする」ことを目指して、25年間ひたすら料理と人と店を磨き続けてきた。「日本一おいしいミートソース」も「無化調イタリアン」も同氏の人間に対する深い愛情と優しさから生まれたものだ。生産者、取り引業者、従業員、お客様。店に関わる人すべての人を幸せにしたい。そのために仲間を増やしたい。同氏は新たな一歩を踏み出した。「東京ミート酒場」のFC展開だ。今回は、FC展開にあたって同店の強みや今後の戦略などをうかがった。
<スパゲティ屋「とすかーな」からはじまった四家氏の挑戦>
—四家さんは1992年に最初のお店「とすかーな」を武蔵小山にオープンして独立されましたね。まずそれまでの創業の経緯をお聞かせいただけますか。
もともとうちの両親が千葉の船橋で焼鳥屋をやっていたんですよ。途中から割烹料理に変わったんですけど、その頃、小学2~3年くらいの時から里芋の皮むいたり、アジを捌いたりお店のお手伝いをしていました。そんな親の背中を見ていたんで、僕も料理やろうって自然と思うようになっていましたね。全然勉強もしなかったし。(笑)当時、僕の地元は暴走族みたいな悪いお兄ちゃんがいっぱいたんですよ。威勢のいい。だから、当時の思考は、「早くバイクに乗るのがかっこいい」「早く車に乗るのがかっこいい」「早くディスコに行くのがかっこいい」みたいに思っていました。なので、とにかく早く店を出したほうがかっこいいって信じてましたね。で、「早く店出すにはどうしよう」て考えて、憧れの新宿
で働く先を探したんです。
ちょうど新宿西口に大行列ができているお店があって、その場で面接申し込んだんです。店の人からしたら、行列で忙しいのに、その場で面接申し込むなよって感じですよね。(笑)それが「スパゲティハシヤ」でした。これくらい行列つくるお店で技術を得たら、必ずヒットするお店が出せるだろうと思って入社しました。
—そこで四家さんの飲食人生が本格的にスタートしたんですね。
そうですね。それまでも高校時代3年間ずっと喫茶店でアルバイトして遊ぶ金を稼いでましたが修行はここからですね。でも、両親は小さな頃から放任主義の教育だったので、「ありがとうございます」とか感謝の言葉が言えないんですよ。それでいて変に正義感が強いんで、先輩に反発して毎日殴られているような状態。(笑)毎日怒られに行っているようなもんです。現場は、すごく厳しくて10人入ったらだいたい9人は辞めていくみたいな感じでした。だけど、先輩たちを見ていて納得いかないところも多いんですよ。繁盛しているからといってお客様をおざなりにするというか。この人たちが間違ってるのに、僕が辞めるのは悔しいと思って、意地でも辞めない、先輩たちより先に店を出すぞ!必ず見返そう!
と心に決めてやっていましたね、当時は。
—そんな厳しい環境をどうやって乗り越えられたんですか。
ある時、後輩が入って来たんです。見ていると、先輩の言うことに対してとても素直でかわいがられるんですよね。しかも、どんどん仕事も任せられる。僕は反発ばっかりしていたんで、毎日怒られまくり。(笑)仕事覚えるために入ったのにこれじゃ早く店を出せないと気がついて思い直して先ずは先輩に可愛がられるようにしたんです。そこからうまくいきはじめましたね。
—なるほど。スパゲティハシヤには何年いらっしゃったんですか。
そうですね。7年いました。最後は蒲田の東急プラザのレストラン街の店舗。僕が移動した当初は、お客様が全然こなかったんですよね。他のお店はどこも行列なのに、うちが一番ヒマなんじゃないかってくらい。大先輩が揃って何やってんだと(笑)僕は行列店で働いていたという冠をもって独立したかったのに、こんなヒマな店作ってどうすんだってね。(笑)それで、メニューを作り替えて、接客も変えて、料理写真を撮って、それをポスターにして店先に貼ったり、マニュアルも会議もなかったんで、どちらも新しく作って、やりたい放題改善させてもらいました。正直言うと当時数字なんか全く見てなかったんです。見てたのはお客様だけ(笑)なんで入って来ないんだろ?どうしてリピートしてくれないん
だろう?それを徹底的に改善しただけなんです!数字を追ってたら数字は上がりません。お客様を見ないと。結果的に350万円くらいだった売上が1000万円以上までいきましたね。それで大手を振って独立できると、退職しました。
-それで、武蔵小山「とすかーな」で、念願の独立を果たしたんですね。
そうですね。26歳の時でした。でも、最初は人を募集しても全然こなくてかなり苦労しました。応募があったとしても、経験がない若い子ばかりで。「ソースはあとどれくらい残ってる?1/3とか3/5とか言ってごらん」と聞いても、その「1/3」が理解できない。(笑)これはゼロから育てていくしかない。どうやったら覚えてくれるだろうって模索しながらやっていました。怒ったら萎縮して成長しないし、無理なくゆっくり育てていこうって。それからしばらくして、もう一度募集をかけたたら、大卒と中途が2人来て、自分の給料下げてでもいいから2人とも雇いたいと思って採用して任せられるまで育てました。そんな訳で2号店の代々木店を出すまで7年かかりましたよ。これも人を育てているようで実は自分育て
だったんですね。
<産直食材の衝撃。“無化調イタリアン”の原点はお客さんとの出会い>
—今では老舗人気店ですが、やはり苦労されてきたんですね。四家さんは食材にもこだわりをもってらっしゃいますが、そのきっかけはお客様から教えられた野菜だったとか。
そうですね。エアバギーを販売する会社の女性社長が2号店の代々木店に食べに来たんです。その人は妊婦さんを相手にお仕事されているので、すごく食べる物に気を遣ってるんですよね。それで「すごく良い野菜があるから、あなた、食べなさい!」とすすめてくれたんです。実際送られてきたルッコラを食べたときに、衝撃を受けたんです。「なんだこれ?」って、体中に電気が走りましたね。「身体が喜んでる!」って。そこから無農薬野菜を入れるようになり、産地にも足を運ぶようになりました。それが代々木店をオープンしてまもなくだったので、12年くらい前ですね。
—この出会いがきっかけで食材や生産地、生産者に関心を持つようになったと。野菜以外にも産地に訪れますか。
はい。食材に興味を持つようになって、漁港にも足を運ぶようになりました。最初は「そういえば、魚って漁師さんから直接買った方が安いんじゃない?」と何となく思いついて、定休日に千葉の銚子にふらっといったんですよね。すると、ちょうど港にいっぱい魚が水揚げされている。「こんなに安くて新鮮な魚がいっぱいあるじゃないか」と飛びつきました。だけど、直接漁師さんから売ってもらおうとすると全然うまく行かない。「アジ2本、ホウボウ4本ちょうだい」と注文すると、「俺らはデカイバケツいっぱいホウボウを買うんだぞ。お前のために2匹売って、残った何十匹はどうなるんだ」って怒られて。(笑)それで「なるほど」とそのシステムが分かるようになるまで、何度も通って頭下げて勉強しま
した。
<シェフとして腕を磨いた飛び込みイタリア修行>
—パスタ専門店として創業されましたが、四家さんがイタリア料理の勉強を本格的にはじめたのはいつ頃からですか。
先輩がはじめた立川のイタリア料理店を見たことがきっかけです。もともと僕の頭の中には、スパゲティ屋しかなかったのに、こんなにワイン揃えんるんだとか、ピザなんか出すんだとか、アンティパスト、チーズの盛り合わせ出すんだとか、とても衝撃的だったんです。しかも、内装がかっこいい。
そんな先輩のお店を見て「これからはコレだな」と思ったわけです。スパゲティだけ売っていたら、夜の売上は上がらなくなる。それで、2店舗目の代々木店は「スパゲティ&ダイニングバー」にしたんです。でもまたここで苦労して。「スパゲティ食べながら酒飲むやついるわけないだろ!」ってあとから気づいた。(笑)そこで落合シェフの本とか、接客の本とかを買ってきて、取締役の佐藤と2人で勉強しながら食事のメニューを増やして、接客も毎日のように改善していきました。
—代々木店でスパゲティ屋からイタリア料理店へと変わっていったんですね。
よくイタリアにも行かれて、厨房に入って料理の勉強をされてますよね。
そうですね。代々木店が軌道に乗った頃から、イタリアに行くようになりました。初めてイタリア行ったその日に地元の人しか行かないリストランテに行って、スタッフと仲良くなって2日目には店がオープンする前に張り込んで「働かせてくれ」ってお願いして厨房に入れてもらってました。(笑)ローマ、トスカーナ、ミラノ、ヴェネチアなどのお店をまわって食材の使い方や調理方法を学びました。で、日本に帰ってきて「おい!イタリアは作り方全然違ったぞ!」と従業員全員集めて、パソコンで写真見せながら、作り方を全部教えながら変えていきました。
—なるほど。それで料理のレベルアップをはかってきたわけですね。
そうそう。それからは毎年幹部を一人ずつ連れてイタリアに行っています。
<大ヒット業態“東京ミート酒場”ができるまで>
—そうなんですね。ところで、今回FC店として展開する「東京ミート酒場」についてお聞きしたいのですが、この業態はどこで着想を得たんでしょうか。
もともとミートソース+トッピングのパスタを食べられる洋風なお店を考えていたんです。だけど、それだと夜が弱いので、夜はワインを置いて、つまみも置こうと考えていました。で、浅草橋の物件を見に行く途中、たまたま「秋田屋」というヤキトン屋さんの前を通りかかったんです。「秋田屋」の向かいにはかっこいいイタリアンのオイスタ—バーがあって。でも、まだ4時なのにお客さんが溢れているのはその「秋田屋」の方。どっちが商人としてかっこいいかを考えて、すぐ「秋田屋」の写真を撮って、そのまま「こんなイタリアン酒場を同じ店を作ろう」って設計士さんと打合せしに行きました。それがオープンの一ヶ月前(笑)それが「東京ミート酒場浅草橋総本店」です。
—そうだったんですね。ターゲットを男性客にしたのはどうしてですか。
高級イタリアンやおしゃれなイタリアンはたくさんありますが、庶民の味を気楽に楽しめるイタリアンが日本になかったんです。イタリアにも当然庶民はいて、当たり前ですがみんなイタリア料理を食べている。なぜ庶民が行けるイタリアンが日本にないんだって気が付きました。初めてトスカーナに行った時に食べたモツ煮は衝撃的にうまかった!「この牛のモツ煮を何とかして日本人に食べさせたい」とずっと思って、同じ部位のモツをずっと探していたんです!このモツと日本一おいしいミートソースを名物にした大衆イタリアン酒場がやりたいと考え即行動に移しました!普段イタリアンに行かないおっさんにもイタリア料理のおいしさを伝えたい。居酒屋で化学調味料まみれの身体に悪い料理ばかり食べて
いるおっさん達を健康にするための店をつくったんです。気取ってワイングラスを傾けたりしなくていい店、ハイボールとサワーを我が物顔で飲みながらイタリア料理が食べられる。こんな店ならおっさん達も気軽に立ち寄れますよね。
—イタリアンと酒場の見事な掛け合わせですね。ところで、「日本一おいしいミートソース」というのはいつから名前が付いたんですか。
代々木店からです。お客様や業者さんが「あちこちで食べるけど、ここのミートソースが日本一美味しいよね」と言ってくれたので、「なるほど」と思って試しに看板に書いてみたんです。そしたら、その名前に惹かれてけっこう来店してくれるお客様が増えたんです。「外に書いてある“日本一”っていうのを下さい」って。そうやってどんどん名前が一人で走りはじめたんですよね。でも“日本一”という割には正直日本一かどうか疑わしい(笑)じゃ、もっと磨き上げようと思って、改良をはじめたんです。まずは、とにかく材料を良くしないとおいしくなるはずがない。だから、試作段階で原価を気にするのを一切止めました。例えば、中国産の缶詰めを止めて生のマッシュルームに変えたり、安いハウスワ
インじゃなくて、フルボディの無農薬の赤ワインにという具合に変えていきました。当然、原価も一緒に上がるので、そこは食材の調達段階で工夫をしました。産地に行くと、A品だけじゃなくてA・B品があったりするんですよ。実はB品の方が旨味や香りが立ってて旨い!そうやって、味を落とさずに原価だけ下げてお客様負担を限界まで下げました。
<無添加でおいしいメニューをつくるセントラルキッチンとの関係>
—そうやって改善を重ねてこられたんですね。現在は、そのレシピでセントラルキッチン(CK)も上手に取り入れられていますよね。
FC展開していきたいと思っていたので、CKも考えないと、と思っていろいろな工場をあたりはじめました。「こんな材料使って、こういうレシピで作っているから、これと同じものを作ってほしい」とお願いしても、大抵は全然おいしくない試作品があがってくるんですよ。「なんだこれ?」と言っても、「いや、PBなんて、こんなもんですよ」ってね。(笑)そんな時、たまたま展示会で出会ったシェフがとてもこだわりの強い職人で、より良いものを作ろうと一緒になって考えてくれるんです。今もそのシェフにお願いして、無添加にこだわってで作ってもらっています。セントラルキッチン=レベルが落ちる、というイメージがありますが、うちの場合は、まったく違います。うちが長年技術があって、レシピ
をすべてオープンにして、さらにおいしくするにはどうしたらいいかと相談しあいお互いの技術を駆使して不可能を可能に変えてゆくんです!
一般的にセントラルキッチンというと工場をイメージしますが実際は店のキッチンを大規模化しただけの手作りするキッチンです。
—東京ミート酒場のメニューで、CKで作っているものはどんなものがありますか。
うちは出来合いの商品は絶対に使いません。うちのレシピで、お客様がおいしいと感じてくれているヒット商品だけをCKで作ってもらっています。具体的にはモツ煮、ピクルスの液体、アキレス腱のマリネはスジ肉だけCKで作ってもらってタレは店でレシピに沿って合わせるだけ。あとは、肉味噌の肉やパクチーサラダのドレッシング、アヒージョのタレ、ニョッキ、ポテトフライなどですね。このあたりのメニューは、すべて注文が入ってから2~4分で仕上がります。とすかーな時代から、料理を開発するときは、人間が手をかけている時間を4分以内でおさえないさいと教えています。それ以上かかると店全体のお客様に迷惑がかかってしまうので。手の込んだものを作りたい場合は、仕込みをして、注文が入ってか
らは2〜4分以内におさえるようにしています。
うちのメニューの中で化学調味料が含まれているのは加工段階で含まれているベーコンだけです。化学調味料が混じった粉末や液体調味料さえ一切使いません。
—それをFC展開、CKでも実現できると。
そうです。やろうと決めればできるんです。ただお金も手間もかかるからみんな安くて簡単に口の中だけで旨いと感じさせる化学調味料を使っちゃうんです。
そもそも、金儲けが目的じゃなくて、人を幸せにするのが目的なのに、身体に悪いものを提供して人を幸せにはできませんから。
<産直食材、オリジナルレシピ、ブランド力——。25年のノウハウが凝縮したヒット業態>
—お客様に対していわゆる“セントラルキッチンっぽさ”を感じさせない味で提供できるということですね。独自で開発した質の高い料理を、現場で簡単にできる。そのあたりの調理面の研修体制は。
だいたい1ヶ月くらいお店に入ってもらって教えます。
—経験面など条件はありますか。
ありません。東京ミート酒場石神井店のアルバイトの子に教えて一週間ぐらいでストーブできるようになっていますから。人それぞれですが研修は、ストーブ一週間、スタンバイ一週間、ホール一週間、座学一週間でできなければ延長して教育します。
—なるほど。理念から実践までしっかりカバーされていますね。ところで、FC展開をはじめようと思ったきっかけは。
直営でもいいんですが、やはりスピード感がない。だから、同じ理念を持ってやってくれる人がいれば仲間を増やして早く多くの人を幸せにしたいと思ったんです。
—店舗数はどこまでのばしたいですか。
より多くの人を幸せにできるなら、仲間は多ければ多いほどいいと考えています。東京ミート酒場に限らず、このミートソースを商品として卸もはじめています。社食でお出ししたり、パイ屋さんのミートパイに使ってもらったり。海外も含めてミートソース専門店の展開もしていきたいですね。
—FC展開の対象エリアは。
弊社の物流センターからまとまって荷物が各店に届けられるので近い方がコストを抑えられるので、まずは東京、神奈川、埼玉、千葉あたりですね。
—どのようなFCオーナーさんとやっていきたいですか?
お金目的の人はお断りします。うちは健康的な料理を作って、人を幸せにして、その結果ちゃんと収益が上がる状態になっているので、まずはうちの理念に共感していただける人と一緒にやりたいですね。
—ほかに店舗数や経験年数、企業規模などの基準はありますか。
最初はできれば数店舗経営されている現場好きなオーナーさんがいいですね。
—東京ミート酒場の物件の坪数は。
基準は15坪から25坪くらい。石神井は異例で35坪80席くらいあります。
—既存店の売上はどのくらいですか。
8月にオープンした石神井店はオープン後から少し落ち着きましたが、それでも一日平均35万円くらいです。浅草橋は7坪の2階建てで1000万円超えていますね。御苑は650万円くらい、オープンしたばかりの武蔵小山4号店も1000万円前後ですかね。
すごいですね。会社としては当分東京ミート酒場の業態で出店していく予定ですか。
そうですね。トスカーナをやらないのではなくトスカーナの集大成が東京ミート酒場なんです。これまでトスカーナで磨き込んできたこだわりや技術をミート酒場に注ぎ込んでいます。
—御社のFC店としての強みは。
良い食材を使った無化調メニューを酒場価格で提供できることにスタッフが誇りを持てること。他にはないうちのオリジナルレシピで作ったヒットメニューが直営店と同じレベルで出せるので価格競争に陥らないこと。物流センターがあって、肉、魚、生パスタ、ソース、イタリア食材、包材、産直の新鮮な食材が使えること。食材など半分以上が日祝も変わらず毎朝ジャストインタイムで一括納品されるので都心の高い家賃が掛かる冷蔵庫スペースの削減と初期投資の削減ができます点も大きなメリットだと思います。検品も一度にまとめてできるので先入先出作業も少なくスタッフの調理時間や接客時間の邪魔をしません。こういったところは他にはない強みだし、スタッフが働きやすいのと人件費の削減につながります。
—なるほど。あとは、テレビをはじめメディアにも多数取り上げられていますから、認知度、ブランド力も強いですね。
テレビ局も飽きずに来てくれるのでオンエアされる度に各店の売上が上がります。
—東京ミート酒場の単価は。
単価は昼は1000円、夜は2800円くらいですね。
—FC店舗では目標の店舗数はありますか?
店舗数が目的ではなくお客様に感謝されるような価値の高い、質の良い店を長く続けて行きたいです。社員ののれん分けと平行してFCさんを増やして良い仕事をしていれば自然と100店舗くらいになっていくと考えていますのでその時に上場させたいです。
幹部や社員、アルバイト、FCさんが誇りを持てる会社にするためにも。
—最後にFCオーナーさんへのメッセージをお願い致します。
とりあえずパスタが嫌いと言われると困りますね。(笑)
会社の社風を良くしたいと思っている方、人を幸せにするという途中経過をちゃんと理解して大切にしてくれる方、そんな方に来てほしいですね。
1964年千葉県船橋市生まれ。株式会社イタリアンイノベーションクッチーナ、代表取締役社長。高校卒業後、「スパゲッティ ハシヤ」入社。厳しい修業時代を経て、1992年に武蔵小山で「スパゲッティとすかーな」(現「とすかーな武蔵小山総本店」)を創業。1999年に代々木店、2004年に吉祥寺店を出店。その後、住宅街から商業施設まで幅広く出店を重ね、2014年「東京ミート酒場」を浅草橋にオープンさせ、大ヒット。「日本一おいしいミートソース」を使った「のっけ麺」でも知られており、テレビをはじめ数々のメディアで取り上げられている。健康的でおいしい料理を通じて、人を幸せにすることを理念とし、現在「TOSCANA」「Quattro Cuori」「TRiPPAiO」「東京ミート酒場」の4業態15店舗を展開する。