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BigBelly大林芳彰氏インタビュー

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2011年6月、池袋のはずれに独立一号店「AGALICO」を出店。“アジアンビストロ”という独自のジャンルを生み出し、超繁盛店を創り上げてきたBig Belly 代表取締役 大林芳彰氏。グローバルダイニング「モンスーンカフェ」の旗艦店で料理長を務め、桁違いの売上を叩き出し、あらゆる客層を食事と空間で満足させるノウハウを持つ。すべて同氏の広く深い食体験に基づくアジアに特化した独自のユニークなメニューには、ファンも多くレシピ本も出版する程だ。いま業界で最も注目されるオーナーの一人である彼が新たなステージを目指し、FC展開に取り組んでいる。プロデューサーとしても国内外からひっぱりだこの大林氏に、アガリコの強み、そしてFC展開に込めた思いと戦略を聞いた。

<“アガリコ”の基盤を創ったグローバル時代>

—まずは、創業の経緯からおきかせいただけますか。

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初めて代官山の「モンスーンカフェ」で食事をしたときに、その圧倒的なスケールに衝撃を受けて、次の日には「働きたい」と頭を下げにいっていました。それから13年間、グローバルダイニングで料理をしてきました。最初はアルバイトから入って、2年ほどキッチンを担当。いったん現場を離れて、3ヶ月間、料理を学びにタイに行ったんですよね。そこで、食材や調味料、調理法など、必死に習得しようと現地の厨房に入れてもらって働いてたんです。

—帰国後、「モンスーンカフェ」の各店で料理長を歴任されましたね。

そうですね。渋谷、お台場、ららぽーとTOKYO-BAYの各店の料理長を経て、2009年には旗艦店「モンスーンカフェ 舞浜」の料理長に就任しました。ずっと独立は考えていたので、そこで飲食店経営のノウハウを学びました。経営に必要な数字やマーケティングを徹底的に学んでは、店ですぐに実践。メニューも自分で開発して出していたので、どんなメニューがどんなお客さんに受けるのかなども経験としてつかむことができました。舞浜のお店だと、一日1500~2000人のお客さんがいらっしゃることもあって。ファミリーも、カップルも、女性客も一人客もいろんな方がいらっしゃるんですよね。なので、そのときに今のアガリコの基盤となっているメニューを、アタックでいろいろ出してテストしていたんです。

—当時からアガリコというお店が頭にありながら、トライアルを繰り返していたんですね。

そうですね。独立する3~4年前くらいからずっとありましたね。

—なるほど。そこで“アジアンビストロ”という業態の基礎ができてきたわけですね。

その間も、海外には年に3~4回行くようにしていました。アジア全域をまわって、現地の料理を現地で食べて、現地で働いて、という経験が一番のベースであり、それがうちの強みですね。

<アガリコブランドを支える300超の㊙︎レシピ>

—なるほど。現地で働くというのは現地の飲食店で料理をしていたということですよね。

そうそう。タイ人と一緒にキッチンに入ってました。(笑)ホテルの1階にベトナム料理屋があったんだけど、3ヶ月そこで。夜は料理をして、昼間は屋台巡りとかしてましたね。世界中のアジア料理を食べ尽くしたというのと、アジア料理を現地で学んできたというのが他社にはない強みだと思います。

—日本と現地でのアジア料理をどちらも分かっているという点は、料理にどのようにいかされているんですか。

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現地の厨房に入って、調理方法や食材も深く見てきたからこそ、ちゃんとアジア料理だけど、自分なりのアレンジができるんですよ。ベースがわかっているから、タイ風にもベトナム風にも簡単にアレンジができる。そもそもタイ料理を専門にやっているシェフって、日本にあんまりいないんですよ。例えば、インド人のカリスマシェフっていないでしょ。僕はアジア料理のカリスマシェフになりたいんですよね。

—メニューもアジア全域をカバーしているというのは強いですね。

そうですね。ベトナム料理店だったら「フォー」、シンガポールだったら「ラクサ」とかだいたい決まっているじゃないですか。それをまとめて食べられるところがなかったんですよね。あとは、アジア以外にもいろんな国に旅をして、そこでアジア料理を食べるんですよ。フランス人がつくるアジア料理と、アメリカ人がつくるアジア料理、味が全然ちがう。そこにしかないアジア料理とかあるんですよね。

—フランス人がローカライズしてオリジナルのアジア料理を生み出したんですね。

そうそう。例えば、「ボブーン」っていう料理があって、これはベトナム料理にはないんですよ。ボブーンというフランス人がつくるベトナム料理屋には、フォーのまぜそばみたいのがあるんです。上に揚げ春巻きがのっていて、ミントがのっていて。そういうのを見つけにいくためにも海外にはよく行きます。どの国に行っても、その国で作られているアジア料理を絶対確認します。スペインでも、ニューヨークでも。この前はサンフランシスコで一番流行っている店のパッタイを食べたんですが、すごい甘いんですよ。それがハチミツの甘さなのか、砂糖の甘さなのか、というのが国やエリアによって全然違う。そういうのをトータルで考えて、じゃあ、日本人でこの場所だったら、こういうのを合わせようかとか、味付けはこうしよう、とメニューを作っていくんです。

—いろんな土地を旅した経験から、そこの人に一番合う味というのが分かるんですね。

そうそう。アジア料理については特に、ちゃんとルーツを食べて、知っておきたいんです。常にアンテナをたててやっていかなきゃいけないと思っています。今アガリコでも場所に合わせて、全部メニューを変えています。例えば、池袋店だったら「牛すじの煮込み」と「バーニャカウダ」がすごく出るんです。でも、中野にいくと、全然違う。Aメニューだったのが、Cになったりするんです。

—客層によって、それだけ違ってくるんですね。中野にあって、池袋にないメニューもあるんですか。

あるある。中野のお客さんはグルメな人が多くて、毎日メニューが変わっていきます。「これあんまり売れてないから、ちょっとパクチーでいきたいんだけど」とかいろいろあって。うちのレシピは300~400ほどあるので、マーケットに応じてすぐに対応できるんです。

—そうやって日々の積み重ねたマーケティングから、スピーディかつ柔軟にメニューをどんどん変えていけるのも他社にはない強みですね。

そうですね。FCオーナーさんと僕が直接お話しして決定していくので素早く対応できるんですよね。「この店、このメニュー出てないから、ちょっとこっちを変えて」という感じで。

<アガリコの調理&サービススキルを育てる研修制度>

—そのための研修制度はどうなっていますか。

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うちは、2人に1ヶ月間研修してもらいます。その2人がいれば、メニューの改善や集客の切り替えなどすぐに対応できるようになります。研修を受ければ、こっちからレシピをどんどん投げても、それをすぐにメニューに反映できるようになります。対応できるスタッフが常に現場にいるというところが大切なポイントですね。

—瞬時にスピード感もって対応できるか、というところですね。

そう。うちで研修してた子は鍋もちゃんとふれるからね。ただ、そうやって結構マニアックなことをやらないと、集客できないというのはあると思います。それは、人が簡単に真似できないことをやっているから。いかに簡単にマニュアル化するかを追求するフランチャイズとは逆の理論だけど、長く続けるためには、手作りすることと、メニュー替えは必要なことなんですよね。

—アガリコのキッチンもなるべく簡単にできるようにしているというイメージでしたが、やはり研修でしっかり学ぶ必要があるんですね。

そうですね。例えば、繁盛している個人店のメニューを丸パクリするとするじゃないですか。例えば、目黒の「ビストロSHIN」。あそこはメニューを毎回変えて出しているからお客さんを集客できるんですよ。丸パクリしても最初は売れるけど続かない。うちもそれと同じ感覚ですね。メニューの出数見て、店舗ごとに場所に合わせてどんどん変えています。例えば、駅前だと、ランチ需要があるからパスタも必要だとか。だからこそ長く続く店ができるんですよ。ちょっとめんどくさいフランチャイズですね。(笑)

<会社全体の商品力、調理スキル向上>

—すでにFC店を展開されていますが、どんなオーナーさんが多いですか。

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うちのオーナーさんたちは、FC店だけをやっている人が多いんです。「塚田農場」やったり、「串カツ田中」やったり。その中でも店舗数が5店舗以上になってくると、「料理やりたい」って言い出すスタッフが出てくるんですよ。そういう時に、うちに声がかかることが多いみたいですね。あとはアガリコブランドを持ちたいっていうのもあると思います。個人的にうちを気に入ってくれた社長さんが話をしにきてくれることもありますね。

—アガリコFCをすることで、会社全体の調理レベルやメニュー開発力もあがるということですね。

会社にある業態の中で、料理ができるのはどこ、と考えたときに、アガリコがあれば、「アガリコに行きたい」と言うと思うんです。みんなゼロから作りたい人もいるんですよね。グローバルダイニングの「モンスーンカフェ」にいた時は、パッタイつくるのに、もうパッタイソースがあるんですよね。でも、家庭でパッタイを作るのはなかなか難しい。何が入っているか分からないから。この業態つくるには、最初にPBソースなる自分のオリジナルソースをつくるのが一番大変なんですよね。トムヤムクンとか、グリーンカレーとかのベースを作るのが大変。

—アガリコの社員さんは、ホールもキッチンも両方できるんですね。

そうそう。それがスタンダード。研修に来た子も、キッチンから入って、それからホールもやって、という感じです。ホールもキッチンもどちらもできないと、お店がうまくまわらないようになる可能性がある。FCの話に戻ると、オリジナルのレシピのものを短期間でいろいろ変えられるのが便利だと思います。その場所に合わせたアレンジを、僕がオーナーと直接やりとりして決められるから早いです。あとは、池袋店と北千住店の店長が、FC店舗を毎月2~3回まわっています。店内に入って見て、調理レベルのチェックなどをする。なにが問題なのかというのを見つけ出して、それをオーナーに報告する。そうすると改善がすぐできる。けっこう厳しいですよ。(笑)だから、フランチャイズって基本的にオペレーションが楽で、人件費もかからないで、利益が出るというイメージでしょ。うちはしっかり研修したスタッフが手作りしているから、楽ではないです。その分、ブランド価値は高いと思います。

<地方に勝機アリ!?地場に強いオーナー求む>

—アガリコの強みというのは、ブランド、調理レベルの向上、スタッフのスキルアップなどが上げられますね。ところで、対象とするFCオーナーに基準はありますか。

基準は5店舗以上を運営している会社ですね。年数とかは関係ありません。あとは、店をまわせるスタッフがちゃんといるというところですね。今FCでアガリコをやってもらっている渋谷と新宿のオーナーは、30店舗くらいやってるから、人材の層が厚いんですよ。

—そもそも大林さんがフランチャイズ展開していこうと思ったきっかけは?

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きっかけは、そうですね。例えば、町田を中心にやっているオーナーは町田に強いじゃないですか。けっこう町田でこういう場所であたるなって思ったときに、僕が離れている場所を遠隔で見るよりは、客単3~4000円のFCを3~4店舗やっているところのど真ん中にアガリコを出せば、お客さんをまわせる。なんでやりたいかと言われたら、それは「知らないところで広げたいから」。店舗数ももっと増やしていきたいですね。

—目標とする店舗数は。

具体的な数字は考えてないですけど、いろんなエリアにアガリコがあることで、スタッフのモチベーションがあがるかなって。

—ブランドも強くなっていきますね。

そうですね。逆に東京の外側いったほうがチャンスがあると思います。だって、バーニャカウダ知らない人もたくさんいるんですよ。僕が5年前アガリコやったとき、池袋のお客さんもバーニャカウダって言えなかったからね。(笑)。いまだにそういうところが地方にはあると思うんですよ。だからその分チャンスは大きい。それを地場に強いオーナーさんにやってもらった方がいい。

—FCオーナーは東京以外でも探されているということですね。

dscf5119そうですね。今は静岡と札幌に独立店舗があります。地方にいくと、アジア料理があまりないので、商業施設から声がかかることが多いのも利点だと思います。
マーケットとしては繁華街。アジア料理とかあるエリアを地場でわかってて、そこでFCやって飽きちゃったなってオーナーが多い。みんなアンテナが高い方が多いんですよね。
実は僕、福岡が一番あたると思っているんです。福岡にあったら、多分めちゃめちゃ売れると思います。

—ほかにこういうオーナーさんとやりたいというのがあれば。

海外展開を考えている人。それはいけると思います。

—海外というのはアジアをお考えですか。

どこでも。マレーシアとか、シンガポールとかやってみたいですけどね。外国人ってアジア料理好きなんですよね。なのに、スイートチリぶっかけたやつしかなくて。それで満足しちゃってるんですよね。

—最後に読者にひとことお願いします。

短期的にFC店で儲けを考えている人とは合わないかもしれませんね。うちは5年10年と長くやっていける業態です。分かりやすく言うと、「個店主義のFC」。手作り感を大切にしているので、オペレーションが大変な部分もあると思います。だからこそ、簡単に真似はできない、それがアガリコのブランドになっているんです。実際にお会いしてお話して納得いただける方と一緒にできたらうれしいですね。

(大林 芳彰氏プロフィール)
1973年東京都練馬区生まれ。ユナイテッド航空に勤務していた父親の影響もあり、早くから海外旅行を多く経験。大学卒業後は、住宅メーカーに入社。代官山の「モンスーンカフェ」で食事したことをきっかけに、グローバルダイニングに転職。アルバイトから正社員になり、29歳で料理長就任。その間、バンコクで3ヶ月間の料理修行にも取り組む。帰国後、「モンスーンカフェ」渋谷、お台場、ららぽーとTOKYO-BAYの各店で料理長を歴任し、09年、旗艦店「モンスーンカフェ 舞浜」の料理長に就任。13年3月、Big Bellyを設立して独立。一号店を池袋西口にオープンさせた。現在は、アジア料理をベースに様々な業態にも挑戦。韓国、ハワイなど海外への出店にも意欲的に取り組むほか、飲食店プロデューサーとしても活躍中。

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