目を引く外観と独創性のあるメニュー。昔からある蕎麦屋とは一線を画す、新しいジャンルを確立した「そば助」。”究極の塩だし”と、独自調味料の味変(途中から調味料で自由に味を変えて楽しむこと)で食べる蕎麦は、サラリーマンだけではなく女性からも厚い支持を受ける。人気店としてメディアにも多く登場するためFCの相談も多く、このたび加盟店募集を開始した。「そば助」を展開する株式会社ビー・スプリングス代表取締役 八木大助氏に、業態の強みとFC展開にまつわる今後の展望を聞いた。
–まずは「そば助」創業に至る経緯をお聞かせください。
親も商売をやっていましたので、物心ついた頃から私自身もずっと色々な商売に興味を持っていました。そんな中で「立ち食い蕎麦」という業態に着目したことが一番最初のきっかけです。
蕎麦は季節に関係なく、生活と密接なところにある国民食です。大儲けはできなくても、これを商売にすればやっていけるのかなと、最初はそんな感覚でいました。
ただ、社会に出てから最初は親がやっていたスナックを手伝っていました。ゆくゆくは自分で商売をと思っていましたので、23歳のときに綾瀬に居酒屋をオープンさせたのが独立のスタートです。そのお店は8年くらいやりましたね。12坪20席の小さなお店でしたが、常連さんもついて連日満席。売上は好調でした。
そんなときに、趣味で始めたダイビングにはまってのめり込んでしまい、居酒屋をたたんで今度はダイビングショップを2店舗はじめました。これだと思うものがあると一直線にのめり込むタイプなので、それからは色々な商売をやったりしましたね。営業が向いていたのか、最初は苦戦しても、結果としてはどれも売上は良かったです。
そんな中である日、「蕎麦屋の居抜き物件を引き受けないか」という相談が知人から舞い込んできたのです。
その時に”今こそずっと注目していた蕎麦業態をやる時だ”と思い、他の事業は整理して蕎麦一本に打ち込むことにしました。
–そば助といえば「究極の塩だし」ですね。1号店から今のメニュースタイルだったのですか?
今のスタイルに至るまでは色々な経緯がありました。実はその物件、私がやる前に6回も蕎麦店が撤退した物件だったんです。どれも黒いつゆで食べる昔ながらの蕎麦だったので、自分は違う事をしないとまた同じ轍を踏む事になると思ったことが最初のきっかけです。開店にあたって、知り合いの先輩が蕎麦屋をやっていたので、そこでちょっとだけ蕎麦の勉強をさせてもらったのですが、そのお店で今の塩だしの前身にあたるような、白いだしを使っていたんです。もっと改良して、これをメインで打ち出せばどこにもない蕎麦屋になると思いました。
そこからは”どこにもない美味しい塩だし”をつくるため、試行錯誤の毎日でしたね。醤油や味噌だと味が濃くなるのでなんとなく風味をごまかすことも可能ですが、食材そのままの味を楽しめるのはやはり塩だと思っています。
–その塩だしがブレイクのきっかけになったと。
6回も蕎麦業態が変わった物件ですから、最初はあまりお客さんが来ませんでした。「塩だし」の看板を見て、ラーメン屋だと思ったお客さんもいたくらいです。
ただ自分としては絶対の自信があったので、塩だしを入れたポットと紙コップを店前に置いて、通行人の人にどんどん試飲してもらいました。
そうすると、だしの旨さに気づいてくれたお客さんがどんどん店に入ってくるようになり、そこからは波にのれましたね。
1日の売上が7800円といった開店当初の状況が、1日5万円以上売るようになり、ついには10万円も超えるようになりました。
今ではおかげ様でテレビ取材や雑誌取材も多くいただいていて、ある人気番組で紹介されたときは、朝から晩まで30人以上のお客さんが行列をつくる日が続きました。
–「そば助」といえば、豊富なメニューや面白い食べ方がお客さんを引きつける一つの要因ですよね。
はい。最初はスタンダードな蕎麦メニューを塩だしでやっていたのですが、独自性のあるメニューを出すきっかけをくれたのが、麻布十番で焼肉店を営む後輩の一言でした。
そのお店では、ラー油のまぜ蕎麦を〆に出していたのですが、「これがすごい人気だから、先輩もやってみたら」と。
すぐに自分の店でも試してみました。そのままやっても面白くないので、自分でさらに改良を加えたのが、今の人気メニュー「ラー蕎麦シリーズ」ですね。
それからは、これまでの”蕎麦屋”の概念にとらわれず、自由にやろう。自分が美味しいと思うスタイルを追及しようと思い、抹茶やゆず、コチュジャンを使ったメニューなど色々開発しました。
綾瀬の居酒屋時代に料理長をやってくれていたスタッフ(現在の同社副社長)がまた戻ってきてくれた事も、現在のメニューを考える上でとても力になりました。
–業態としての強みは何だと思われますか?
4つあると思っています。まずは国民食である「蕎麦」だという事です。飽きのこない、いつも生活の傍にある食ですから。
2つ目に立地です。メニューに独自性があるので、お客さんはわざわざ「そば助」を目指して来てくれます。他の立ち食い蕎麦のように”いわゆる駅前の一等立地”である必要性がないことですね。
3つ目は「2毛作」ができることです。昼は蕎麦屋、夜はお酒と一緒に塩だしで楽しむしゃぶしゃぶを召し上がっていただき、蕎麦で〆る蕎麦居酒屋としてお使いいただいています。北千住店では、売上の2/3が夜の売上です。
4つ目として、本部による「そば助」独自の商品開発力も、強みの一つだと思っています。常に”世にないものを考えよう”と独自のメニュー開発を行っています。
–本部としてのバックアップ体制を教えてください。
出汁、つゆ、タレ、調味料、オイルなど味の決め手になるものは全て本部から供給しています。具材も全て真空の状態で納品可能です。また、蕎麦は自家製麺機を導入してもらった上で本部で指導しますので、1か月の研修で十分お店を運営できる力がつくと思います。食材の物流に関しては全国対応可能です。
–どんな方に加盟してもらいたいですか?
「世界一ウマい蕎麦屋」が目標ですので、一緒に塩だしの文化を広げていただける方に加盟していただきたいですね。
–将来のビジョンをお聞かせください。
まずは自分たちの足元を固め、従業員満足や加盟店の方々に喜んでそば助を運営いただくことが第一ですね。
その上で、長い間自分のテーマである社会貢献も行っていきたいと思っています。食を通して貧困や社会問題に向き合えるシーンというものはたくさんありますので。
また、稲荷町のお店なんかは、インバウンドの影響もすごいんです。この塩だしの文化をどんどん広げて、海外へも認知度をあげていきたいですね。「蕎麦といえば、あのちょんまげのそば助!」と言われるような(笑)。
そして、先々は上場も見据えて頑張りたいです。それにより、社会に対する影響力や従業員満足も変わってくると思うので。
とにかく、やりたいことや目標はたくさんあります。一つ一つかなえていきたいなと思っています。
–最後に、加盟を検討されている方々にメッセージをお願いします。
日本全国どこに行っても、黒いつゆで同じスタイルの蕎麦屋さんばかりですが、そば助は全く違う、新ジャンルの蕎麦業態です。塩だしの文化を広げるために一緒にやりましょう!
「そば助」ブランドはまだまだ走り出したばかりですので、一緒に作り上げていきたいです。きっと面白いと思います!