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  • テイクユー代表取締役 大澤武氏インタビュー

    2012年にラーメン業界でブームが起こり、一躍、その名を知らしめた鶏白湯。その鶏白湯ラーメンのパイオニアとして、チェーン展開を行ってきたのがテイクユーだ。ただし、同社は単なるチェーン展開ではなく、「ボランタリーチェーン」として、チェーン店と個店の双方のメリットを同時に生かした店づくりを実践してきた。2017年11月現在、直営店は25店舗、FC加盟店は国内外に76店舗を数える。今回はテイクユー代表取締役の大澤武氏に、その店づくりの強さの秘密を聞いた。

    ―まずはこれまでの経緯を教えてください。

    もともと電子機器メーカーでサラリーマンをしていましたが、2002年の春ごろ、物件に縁があり副業としてFCで味噌ラーメン店の経営を始めました。売り上げは、最初は厳しかったものの、徐々に上がりはじめたので、店舗を増やし、最終的にラーメンと焼鳥で計4
    店舗をFCで経営していました。

    ―その間、サラリーマンは辞めなかったのですか?

    ええ、平日はサラリーマンとして、飲食店に向けてPOSなどのIT管理システムの企画営業などをしている傍ら、FCジーとしての経営を。さらに、休日には「週末飲食オーナー倶楽部」を発足し、飲食で副業をしたい人の支援活動も行い、この3つを同時進行する日々でした。

    ―とんでもないパワーですね!

    我ながら、よい経験ができたと思っています(笑)。これらの経験を通して、飲食って結局は人と人とのつながりがもっとも大切なんじゃないかって思うようになりました。そこで、飲食店と飲食向けサポーター企業のマッチングを目的とした支援するサイトを立ち上げるべく、2011年4月に会社を退社しました。

    ―鶏白湯ラーメンを始めたきっかけはなんだったんでしょうか?

    ちょうどそのころ、「週末飲食オーナー倶楽部」で支援していた塾生が独立するというので、私が開業コンサルを行うことになったんです。そのときに目を付けたのが、鶏白湯ラーメン。当時、都内にはまだ鶏白湯ラーメンをやっている店は少なかったですが、今後流行るだろうとにらんでいました。また、茨城・古賀の鶏白湯ラーメン店「麺堂 稲葉 古河本店」で食べた鶏白湯ラーメンに感銘を受けたことも後押しし、2011年11月に鶏白湯のラーメン店「麺匠 ようすけ 中野本店」を開業。さらに、2012年、知り合いから新橋にある物件の紹介を受け、そこで自ら直営店をやることになった。ただ、そこは裏路地で人通りも少ない物件。ドロつけ麺の業態をやっていた経験もあるので、つけ麺にしようかとも思いましたが、それでは引きが弱いと思って。「麺匠 ようすけ」が好調だったこともあり、ここでも鶏白湯で勝負することにしました。この物件は絶対に成功させたいと思ったので、徹底的に研究を重ねた。他店視察で、メニュー構成や店内の掲示物などから見える商品の打ち出し方などを観察したり、ラーメンマニアの知り合いにたびたび試食をしてもらい意見をもらったり、FCで焼鳥屋を運営していたノウハウを生かし、具につくねを入れて、“居酒屋直伝のつくね”と打ち出すなど、ラーメン以外の世界を加えることでストーリー性を持たせたり。そうして、現在の原型ともなる鶏白湯ラーメンが完成し、2012年7月に「麺屋 武一」をオープンしました。

    ―そのころはまだ鶏白湯ラーメンの黎明期でしたが、営業の状況はどうでしたか?

    とにかく視認性の悪い居場所だったので、オープンから最初の1週間は、店の近くで朝7時から通勤途中のサラリーマンに向けてビラ配りをしました。1週間が経ったころから、次第に口コミでお客さまが増え始め、ビラ配りの必要はなくなりました。そしてオープンから約1カ月後、テレビ番組で紹介され、そこから一気にブレイク。12坪18席の店ですが、月商は700万~800万円。ときには行列ができるほどに。そこで、この「麺屋武一」のヒットをきっかけに、2012年11月にテイクユーを創業し、本格的に鶏白湯ラーメンのチェーン事業を展開していくことにしたんです。

    ―ブームよりも一足先に鶏白湯に目を付けた、その理由はなんだったんでしょうか?

    鶏白湯は、なによりもターゲットの広さが魅力です。濃厚でありながら食べやすく、スープは最後まで飲み干せる。ガッツリ食べたい若い方から、お年寄りまで、コラーゲンたっぷりなので女性にもおすすめできる、老若男女問わずに人気の高いアイテムです。また、ムスリムの方など、世界では宗教上の理由で豚や牛が食べられない人も多いですが、鶏出汁の鶏白湯ならその点もクリアできるため、世界からの注目も高い。今後、当社では鶏白湯のハラル認証の取得支援も行っていこうと考えています。また、鶏をテーマとしているので、鶏を使った一品料理を提供することも可能で、ちょい飲み需要にこたえることもできます。直営の青山店では22席の店内で、1日で20リットルの生ビールの樽が空くこともあるんですよ。

    ―現在の店舗数は?

    2016年の夏から出店を加速させ、2017年11月時点で直営店は23店舗、加盟店は76店舗(海外8店舗含む)鶏白湯のほか、煮干しラーメンの店舗もあり、それは全体の約2割を占めます。

    ―テイクユーが手掛ける店の強さとはどこにあるのでしょうか?

    店舗展開をするにあたり、大切にしているのは、すべての店を「個店」として打ち出すこと。というのも、どんなにいい商品を作っても、「チェーン店」だと思われてしまっては、グルメサイト等の口コミが盛り上がらない。それぞれの店に、個店らしい手作り感を打ち出すことで、自然と話題になり、メディア取材の依頼数も倍増し、ヒットにつながります。実際に、ラーメン特集のムック本では、通常でしたら1冊のなかで同じチェーンの店はそう何店舗も掲載されませんが、当社の加盟店はそれぞれが別々のブランドであると認識されるため、同じ1冊の中にも何店舗も掲載されていることもしばしばなんです。
    (画像は、同社の店舗が掲載された雑誌。タグが同社の店舗ページだが、1冊に複数のタグが付いていることがわかる)

    ―これだけの店舗数がありながら、それぞれの店が「個店」としての魅力を発揮しているんですね。逆にチェーンとしてのメリットはどのようなところに生かされていますか?

    養鶏場に近い場所にある自社工場にて一括でスープを製造することで、安定した品質を保つのが難しいと言われる鶏白湯スープを一定のクオリティで供給しています。店舗でスープを炊く必要がないので、スタッフの人件費や光熱費、厨房機器への投資等を削減し、職人いらずのオペレーションが可能になるわけです。ですので、従来のラーメン店としては狭い物件でも、開業が可能。小型居酒屋やバルなどの業態変更にも向いています。また、当チェーンはそれぞれが独立したブランドだからこそ、同じクオリティを維持するためのコストがかからず、ロイヤリティ0であることも大きな魅力です。ですので、ベースとなる鶏白湯スープは同じですが、メニュー開発はそれぞれの店に裁量があり、加盟店独自にその地域の食材や食文化で個性を打ち出すことも可能。加盟店独自の違うブランドで多店舗化やドミナント展開もできます。さらに、万が一どこかの店舗で事故があったとしても、異なるブランドであるため、直接的な風評被害がないというのも強みですね。

    ―チェーンメリットを生かしながらも、個店らしい魅力も同時にアピールできる。それがテイクユーへの加盟の最大のメリットですね。加盟にあたっての条件はありますか?

    加盟の相談に来た人には、まず当社の店で商品を食べてもらうように言います。食べてもらって、本当に味に惚れ込んだ人とやりたい。お金儲けだけが目的の人はお断りします。というのも、これまで自分のFC経営やFCの経営支援をしてきた経験から、最初の動機がどのような思いであるかがうまくいくかどうかのカギだと思っています。FC経営をする中で、困難にぶつかる場面は必ずある。そのとき、「おいしい鶏白湯ラーメンをお客さまに提供したい」という原点に立ち返ることができる人だけが、成功すると思うのです。

    ―今後やってみたいことは?

    日本各地の企業と組んで、ご当地ラーメンを作りたい。強い地域チェーンを作り、「ボランタリーチェーン」として、全国に鶏白湯を広げていきたいですね。
    (大澤 武氏プロフィール)
    1968年東京都生まれ。大手電子機器メーカーに勤務する傍ら、2002年からラーメン店のFC経営を始める。同時に「週末飲食オーナーク倶楽部」を主宰し、副業で飲食店経営をする人の支援活動を行う。2012年11月、テイクユーを創業。ボランタリーチェーンとして鶏白湯ラーメン店のチェーン本部を運営する。

  • そば助ライセンスモデル

    契約タイプは以下5種類


    【注意事項】
    ・ライセンス店舗の近隣に「究極の塩だし」を使用したそば業態が出店する可能性がございます

  • そば助の特徴

    ①圧倒的な商品力

    ◆究極の塩だし
     ⇒マルハン、ジョイサウンド全店導入内定
    ◆他にも豊富な商品群
     ⇒リピート頻度UP

    ②高収益を実現する二毛作業態

    一般的なFF業態の悩み
      「夜の売上が取れない・・・」 
      ↓
    そば助では夜は昼間の2倍の売上!
    幅広いニーズに対応!!

    ③大きな可能性を秘める展開力

    ◆FFマーケットの成長性
    ◆出店可能エリアは994/1000
    ◆1.5等立地で出店可能
    ◆シンプルオペレーション! 


  • 株式会社ビー・スプリングス代表取締役 八木大助氏インタビュー

    目を引く外観と独創性のあるメニュー。昔からある蕎麦屋とは一線を画す、新しいジャンルを確立した「そば助」。”究極の塩だし”と、独自調味料の味変(途中から調味料で自由に味を変えて楽しむこと)で食べる蕎麦は、サラリーマンだけではなく女性からも厚い支持を受ける。人気店としてメディアにも多く登場するためFCの相談も多く、このたび加盟店募集を開始した。「そば助」を展開する株式会社ビー・スプリングス代表取締役 八木大助氏に、業態の強みとFC展開にまつわる今後の展望を聞いた。

    –まずは「そば助」創業に至る経緯をお聞かせください。

    0IMG_6305_650親も商売をやっていましたので、物心ついた頃から私自身もずっと色々な商売に興味を持っていました。そんな中で「立ち食い蕎麦」という業態に着目したことが一番最初のきっかけです。
    蕎麦は季節に関係なく、生活と密接なところにある国民食です。大儲けはできなくても、これを商売にすればやっていけるのかなと、最初はそんな感覚でいました。
    ただ、社会に出てから最初は親がやっていたスナックを手伝っていました。ゆくゆくは自分で商売をと思っていましたので、23歳のときに綾瀬に居酒屋をオープンさせたのが独立のスタートです。そのお店は8年くらいやりましたね。12坪20席の小さなお店でしたが、常連さんもついて連日満席。売上は好調でした。
    そんなときに、趣味で始めたダイビングにはまってのめり込んでしまい、居酒屋をたたんで今度はダイビングショップを2店舗はじめました。これだと思うものがあると一直線にのめり込むタイプなので、それからは色々な商売をやったりしましたね。営業が向いていたのか、最初は苦戦しても、結果としてはどれも売上は良かったです。
    そんな中である日、「蕎麦屋の居抜き物件を引き受けないか」という相談が知人から舞い込んできたのです。
    その時に”今こそずっと注目していた蕎麦業態をやる時だ”と思い、他の事業は整理して蕎麦一本に打ち込むことにしました。

    –そば助といえば「究極の塩だし」ですね。1号店から今のメニュースタイルだったのですか?

    151016_sobasuke_01-e1444919466858今のスタイルに至るまでは色々な経緯がありました。実はその物件、私がやる前に6回も蕎麦店が撤退した物件だったんです。どれも黒いつゆで食べる昔ながらの蕎麦だったので、自分は違う事をしないとまた同じ轍を踏む事になると思ったことが最初のきっかけです。開店にあたって、知り合いの先輩が蕎麦屋をやっていたので、そこでちょっとだけ蕎麦の勉強をさせてもらったのですが、そのお店で今の塩だしの前身にあたるような、白いだしを使っていたんです。もっと改良して、これをメインで打ち出せばどこにもない蕎麦屋になると思いました。
    そこからは”どこにもない美味しい塩だし”をつくるため、試行錯誤の毎日でしたね。醤油や味噌だと味が濃くなるのでなんとなく風味をごまかすことも可能ですが、食材そのままの味を楽しめるのはやはり塩だと思っています。

    –その塩だしがブレイクのきっかけになったと。

    6回も蕎麦業態が変わった物件ですから、最初はあまりお客さんが来ませんでした。「塩だし」の看板を見て、ラーメン屋だと思ったお客さんもいたくらいです。
    ただ自分としては絶対の自信があったので、塩だしを入れたポットと紙コップを店前に置いて、通行人の人にどんどん試飲してもらいました。
    そうすると、だしの旨さに気づいてくれたお客さんがどんどん店に入ってくるようになり、そこからは波にのれましたね。
    1日の売上が7800円といった開店当初の状況が、1日5万円以上売るようになり、ついには10万円も超えるようになりました。
    今ではおかげ様でテレビ取材や雑誌取材も多くいただいていて、ある人気番組で紹介されたときは、朝から晩まで30人以上のお客さんが行列をつくる日が続きました。

    –「そば助」といえば、豊富なメニューや面白い食べ方がお客さんを引きつける一つの要因ですよね。

    151016_sobasuke_03はい。最初はスタンダードな蕎麦メニューを塩だしでやっていたのですが、独自性のあるメニューを出すきっかけをくれたのが、麻布十番で焼肉店を営む後輩の一言でした。
    そのお店では、ラー油のまぜ蕎麦を〆に出していたのですが、「これがすごい人気だから、先輩もやってみたら」と。
    すぐに自分の店でも試してみました。そのままやっても面白くないので、自分でさらに改良を加えたのが、今の人気メニュー「ラー蕎麦シリーズ」ですね。
    それからは、これまでの”蕎麦屋”の概念にとらわれず、自由にやろう。自分が美味しいと思うスタイルを追及しようと思い、抹茶やゆず、コチュジャンを使ったメニューなど色々開発しました。
    綾瀬の居酒屋時代に料理長をやってくれていたスタッフ(現在の同社副社長)がまた戻ってきてくれた事も、現在のメニューを考える上でとても力になりました。

    –業態としての強みは何だと思われますか?

    0IMG_6301_6504つあると思っています。まずは国民食である「蕎麦」だという事です。飽きのこない、いつも生活の傍にある食ですから。
    2つ目に立地です。メニューに独自性があるので、お客さんはわざわざ「そば助」を目指して来てくれます。他の立ち食い蕎麦のように”いわゆる駅前の一等立地”である必要性がないことですね。
    3つ目は「2毛作」ができることです。昼は蕎麦屋、夜はお酒と一緒に塩だしで楽しむしゃぶしゃぶを召し上がっていただき、蕎麦で〆る蕎麦居酒屋としてお使いいただいています。北千住店では、売上の2/3が夜の売上です。
    4つ目として、本部による「そば助」独自の商品開発力も、強みの一つだと思っています。常に”世にないものを考えよう”と独自のメニュー開発を行っています。

    –本部としてのバックアップ体制を教えてください。

    出汁、つゆ、タレ、調味料、オイルなど味の決め手になるものは全て本部から供給しています。具材も全て真空の状態で納品可能です。また、蕎麦は自家製麺機を導入してもらった上で本部で指導しますので、1か月の研修で十分お店を運営できる力がつくと思います。食材の物流に関しては全国対応可能です。

    –どんな方に加盟してもらいたいですか?

    「世界一ウマい蕎麦屋」が目標ですので、一緒に塩だしの文化を広げていただける方に加盟していただきたいですね。

    –将来のビジョンをお聞かせください。

    0IMG_6306_650まずは自分たちの足元を固め、従業員満足や加盟店の方々に喜んでそば助を運営いただくことが第一ですね。
    その上で、長い間自分のテーマである社会貢献も行っていきたいと思っています。食を通して貧困や社会問題に向き合えるシーンというものはたくさんありますので。
    また、稲荷町のお店なんかは、インバウンドの影響もすごいんです。この塩だしの文化をどんどん広げて、海外へも認知度をあげていきたいですね。「蕎麦といえば、あのちょんまげのそば助!」と言われるような(笑)。
    そして、先々は上場も見据えて頑張りたいです。それにより、社会に対する影響力や従業員満足も変わってくると思うので。
    とにかく、やりたいことや目標はたくさんあります。一つ一つかなえていきたいなと思っています。

    –最後に、加盟を検討されている方々にメッセージをお願いします。

    日本全国どこに行っても、黒いつゆで同じスタイルの蕎麦屋さんばかりですが、そば助は全く違う、新ジャンルの蕎麦業態です。塩だしの文化を広げるために一緒にやりましょう!
    「そば助」ブランドはまだまだ走り出したばかりですので、一緒に作り上げていきたいです。きっと面白いと思います!
    (八木大助氏プロフィール)
    IMG_63682株式会社ビー・スプリングス代表取締役
    19703年東京都葛飾区生まれ。学生時代はボクシングに打ち込み、東日本代表として辰吉選手との対戦話も持ち上がる。23歳で綾瀬で居酒屋を立ち上げ独立。その後はダイビングショップなど他業種の経営を経て2014年4月稲荷町で「そば助 本店」を開業。北千住店、人形町店に加え、駅ナカで2店舗の「すたんどそば助」を展開する。パチンコ全国チェーン店内食堂への食材卸も手掛ける。

  • 加盟条件・開業費用

    加盟に関する条件

    加盟金 1,500,000円(税別)
    保証金 0円
    ロイヤルティ 毎月100,000円(税別)
    期間 5年間その他条件 商品の仕入れは本部経由

    物件と人材

    物件面積 7~10坪
    坪単価 1~2万円
    人材 社員1名(研修 1か月)※「FBO認定唎酒師」の取得必須

    開業費用

    内外装・設備 約3,000,000円
    物件取得費、採用費用等、各種備品購入費 約2,400,000円

  • YATA事業ビジョン

    ①本当においしい日本酒を消費者のもとへ

    YATAの事業の根幹には日本酒に対する真摯で誠実な姿勢が根付いています。
    歴史や伝統が深い日本酒だからこそ「本当に美味しさ」を「世の中に伝える」ための時代に合ったフレームワークが必要であり、それが「YATA」という事業です。
    この「誠実かつ柔軟」な姿勢はYATAの最も大切にしているところです。

    ②名実とものトップブランド、全国100店舗体制へ

    YATA事業にかける「想い」を理解して頂いたパートナー様と共に、全国100店舗の「YATA」ブランドの確立へと邁進してまいります。全国展開することで、ブランドとしての販促効果を最大化させ、仕入れ価格などのスケールメリットをより享受して頂けるようになります。日本を代表する日本酒提供ブランドを目指します。

    ③蔵元と共に成長し、日本酒文化をさらに海外へ

    日本酒文化は、今や欧米を中心として海外にも広まりを見せています。しかし品質の安定度、価格などまだまだワインのようなレベルには至っていません。「YATA」はそんな「日本酒を提唱する事業のオピニオンリーダー」として世界を目指します。
    そして世界のより多くの人々に日本酒の魅力を伝え続けます。

  • 板前バル ライセンス契約の概要

    【初期費用】

    ライセンス加盟金 2,000,000円(税別)
    開業初期費用 1,500,000円(税別)
    (研修費・システム登録料・オープンサポート費)含む

    【ロイヤリティー】

    契約面積20坪未満 月額150,000円(税別)
    契約面積20坪以上 月額250,000円(税別)
    ※月間1坪あたりの税別売上が300,000円以上の場合月間売上の5%(税別)

  • 株式会社マグネティックフィールド 山本将守氏インタビュー

    2012年、名古屋の栄で誕生した小さな純米酒専門日本酒バー「YATA(やた)」(マグネティックフィールド、代表取締役 山本将守氏)。それまで“酒場”や“角打”といったイメージが強かった日本酒立ち呑みを、洒落たスタンディングバーとして提案し、新たに若年層マーケットを開拓してきたパイオニアだ。創業したのは、日本酒界の革命児・山本将守氏。2014年、東京進出。雑居ビルの10Fにありながら、毎晩、若い女性や日本酒好きのビジネスマンなど多種多様な人で溢れ、瞬く間に話題の店に。5坪から10坪の狭小店舗、空中階でも展開可能な注目の業態だ。代表の山本氏に「YATA」ブランドの強みや教育体制、今後の戦略などを聞いた。

    —まず創業の経緯からお聞かせください。

    実家が酒屋なんですが、僕自身はサッカー少年で、高校時代はプロを目指してブラジルに留学したり、卒業してからも練習生として、いろんなチームをまわったりしていたんです。やっと内定が決まったJリーグのチームも諸事情で話がなくなってしまって。それが24歳の時でした。そのとき思ったんです。本当にサッカーが上手だったら、もう日の丸を背負っているはず、と。それで諦めて実家に戻って酒屋を継ぎました。

    —未経験でいきなり日本酒の世界に飛び込んだわけですね。

    そうですね。最初は本当に苦労しながらお店を回って、契約をもらっていました。そうやっていると、酒蔵さんの想いをしっかりお店やお客さんに伝えるのが難しいなと感じたんですよね。例えば、「この銘柄はこの温度で保存してくださいね」と言っても、飲食店の人が必ずしもやってくれるわけじゃないんですよね。だったら自分でやるか、と作ったのが「YATA」なんです。お店を出すことで、まずは名古屋の日本酒市場を活性化しようと掲げたんです。

    —そうだったんですね。「YATA」のコンセプトである“純米酒のみを扱う日本酒バー”に込めた意味は。

    150810_yata-shibuya_01「YATA」は、純米酒を扱う研究所、酒ラボ、という位置づけなんです。いかにその人に合ったお酒を出せるか。お客さんを見極めて、何を欲しているかを一瞬で見極める能力を第一に置いています。それは、味わいだけじゃなくて、一緒に飲む人とか、体調や季節などいろんな条件のもとで相性が決まってくる。同じお酒を同じ味と感じるのは、そんなにないんですよ。だから、うちは日本酒専門店ですが、最初から必ず日本酒をおすすめするわけではなく、暑くて汗かいていたらまずお水を出しますし、初めて飲む人、燗を飲んだことない人、などあらゆる人に向けた味わいを平等に置いています。意外と「入手困難」と言われているお酒ほど、よくお店でみかけるじゃないですか。銘柄や酒屋の名前に頼るんじゃなくて、あらゆるお酒を知った上で、お客さんにマッチするお酒を出せればいいと思っています。

    さらに言えば、日本酒を一滴たりとも無駄にしたくない。1時間飲み放題2000円で「利き酒コース」をやっているので、なかには酸化したり劣化したりするお酒も出てくるんですよ。でも、それをサンプルとしても出せるんですよ。「これが酸化ですよ」と一言解説を加えてあげれば、体験を通じて日本酒をもっと深く知るきっかけを作ることができるんです。そういう意味でも、うちは「研究所」なんです。

    —日本酒の廃棄率は。

    ほぼないですよ。お客さんが残しちゃうことはありますけど、捨てることはないですね。廃棄が極端に少ないので、原価率もそう高くならないと思います。

    —純米酒だけを扱う日本酒バーで、しかも「利き酒コース」かグラスの2通りのドリンクメニューと、軽食のみ。かなり絞った業態だと思いますが、その意図は。

    DSCF4661最初は、いろんな人から絶対失敗する、前例がない、とさんざん言われましたが、「とりあえず1年、やってみよう」とはじめたんです。だから、1号店は4.5坪の小さなお店。すごく尖ったお店だから、考え抜いた上の業態でしたが、2割くらいの未知の部分に期待していたんです。化学反応というか。それはコミュニティの創出だったり、他業種とのコラボだったり。そうやって少しずつ日本酒の認知が上がっていけばいいな、と。例えば、うちは6店舗で毎月6000人くらいの来客があるんですが、それが1万人、2万人となっていけばもっと面白くなるんじゃないかって。うちの店が“媒体”となって日本酒をしっかり広めていきたいんですよね。創業した名古屋では、ある程度マーケットをつくれたと実感しています。最近やっと注目されだした日本酒ですが、焼酎ブームやワインブームの時は、酒蔵さんは苦しんだんですよね。もしそういう時期がまた北としても、うちがお店として支えられるキャパ、影響力をもっておきたいんです。うちは酒を買ってきて売っているのではなくて、蔵と直接取引しているので、彼らの想いもしっかり汲み取って、お客さんに伝えられるんですよ。これまで日本酒業界は、マーケティングや広告などの発想はあまりありませんでしたが、うちの店が媒体となれればそれが一緒にやれると思うんです。

    —媒体としての日本酒専門店というのは具体的にどういうことですか。

    例えば、毎月5万円で酒蔵や協会などと広告契約したとしますよね。契約社の人が、いつでも来れて新作の日本酒を「利き酒コース」に盛りこんだり、それをお客産みんなにSNSで投稿してもらったり、そういったイベントも柔軟に対応できます。お客さんの層も高いので、リアルな広告効果は絶大だと思います。
    そうやって一緒に利益を上げて、その地域地域に還元できる仕組みをつくりたいんです。

    <知識と魂を入れる、山本イズムの人材教育>

    —日本酒についての深い知識と柔軟な提案力が必要となってきますが、スタッフの教育についてはどのようにされていますか。

    20160120_yatakanda_02まずうちのベースとなる考え方があって、それはオランドの“トータルフットボール”というサッカー理論を参考にしているんです。僕がサッカーをやっている時、ある監督から「個性は評価しない」と言われたんです。「プロはドリブルだけが上手くてもだめ。シュートだけが上手くてもだめ。まず大事なのは、チームで与えられた仕事を100%こなせるのがプロだ」と。その上で個性を出せる選手がレギュラーになれる。会社もまったく同じことなんですよね。決められたコートの中にこそ自由がある、そんなサッカー理論を応用しています。
    まず「YATA」という日本酒店としての空間をつくることが第一。その空間をつくり込んだ上で、自分の個性を出せばいいんです。まずはうちのオペレーションを完璧にこなせないとだめなんです。それにうちの利き酒コースは、個性はおのずと出てくるんです。お客さん一人一人とのセッションだから。

    —イベントも頻繁に開催されていますよね。

    そうですね。毎週日曜日だけはスタッフが自由にイベントを企画していい日にしています。うちのイベントは、けっこうマニアックなんですけど、即満席になるんですよ。

    —入社後に研修は。

    もちろんあります。ですが、2~3ヶ月の研修ですぐにお店を任せるようにしています。実践で学んでもらうというか、お客さんにも育ててもらう、そんな感覚です。うちは基本的にワンオペなので、いきなり任せるのにリスクもありますが、人を育てるには、任せる勇気が必要なんですよね。

    —日本酒にあまりなじみのない人材を積極的にスタッフとして採用しているとうかがいました。

    yata_gaikanそうですね。うちはカリスマを育てる必要はない。会社がカリスマになればいいと思っているんです。20歳からの若い人たちをいかに日本酒の魅力に引き込むかが重要だと思っています。僕と同じ30代の方でも日本酒に悪いイメージを持っている人がけっこういるんですよ。でも、うちに来てそのイメージが変わったという人も多い。そうやって変えていかないと、その人の子どもたちもいいイメージをもたないようになる。そう考えると、30代40代の育成、それから20代の育成が必要になってくる。特に20代は、まだ飲みなれていない状態から教えるのが一番早いんです。そういう教育についてもうちでしかできないノウハウをもっています。

    —FC店スタッフに対する教育体制は。

    僕の“イズム”があるので、すべて僕がやります。また、各店舗のオープン時から1〜2ヶ月は、うちの店長が店に入って、フォローアップします。うちは箱も決まっていて、ワンオペで、メニューもショットか利き酒コースかの2通り。スタッフが伝えることは、日本酒それぞれの魅力。そうやって型が決まっているんです。あとは、その伝え方を教育できるスキームがうちにはあるので、やりやすいし、損もしづらいと思います。

    —なるほど。FC展開に対して「YATA」の強みは。

    酒ラボとしての高い専門性と純米酒専門バー「YATA」としてのブランド力。そして、コンパクトなパッケージですので、展開しやすく機動力があります。また、うちは日本酒で翌日残ったり、悪酔いしたりしないように健康的な飲み方をおすすめしています。例えば、深夜営業はしない、とか、和らぎ水を必ずお出しするとか。なので、お客さんの層もすごくいいんですよね。おいしく飲んで、気持ちよく帰ってほしい。それで「日本酒ってこんなにいいんだね」と思ってほしいんです。そこがYATAブランドでもあり、うちの強みでもあると思います。

    —坪数の基準は。

    だいたい5~10坪ですね。

    —対象エリアは。

    まずは自社FC店として札幌に出しました。神田店の店長が北海道出身で、地元でやりたいと手を上げたので。ほかに出店場所として考えているのは、福岡、広島、大阪、仙台などある程度の規模がある都市ですね。

    —どういうオーナーさんを求めていますか。

    DSCF4669数店舗展開することができる会社にフィットすると思います。酒屋など流通業者の方にもぜひやってほしいですね。流通の部分って一番日の目を見てないなぁ、と感じるからなんです。本当はもっとエンターテイメント性が高い仕事だと思います。それに彼らには酒に関する豊富な知識という財産がある。それをちゃんと活用すべきだと思うんです。「YATA」だとそれができる。店舗でお客さんに直接お伝えできるからです。そうやってもっとみんなに見てもらった方が酒屋業界も活性化するんじゃないか、と。あとは、電鉄会社との相性も良いと思います。小さなスペースで、ワンオペというライトな業態はエキナカなど向いていますね。日本酒を日本の伝統的文化として人に広めたいんだという想いをしっかり持った方がいいですね。例えば、海外での出店もありです。

    —FC展開する上で、今後の見通しは。

    そうですね。少しずつ広めていけたら、その利益で日本酒について体系的に学べるアカデミーを設立したり等、日本酒業界が活性化するための次のステップもいろいろ考えています。
    (山本将守氏プロフィール)
    1980年愛知県北名古屋市生まれ。株式会社マグネティックフィールド代表取締役。ブラジルへサッカー留学、帰国後も4年間Jリーグ練習生として全国のクラブチームを渡り歩く。24歳で、家業である酒屋を引き継ぐ。2012年、名古屋・栄に純米専門日本酒バー「YATA」をオープン。日本酒ブームの火付け役となり、瞬く間に人気店に。現在、名古屋市内、東京、札幌で「YATA」を6店舗経営する。「きき酒師」の最高資格と呼ばれる「日本酒学講師」を28歳で取得、世界きき酒師コンクールでファイナリストに残るなど、輝かしい経歴をいかして、「日本酒コンシェルジュ」として各地で講演を行う等、幅広く活躍中。

  • 株式会社CANVAS代表取締役社長 本間保憲氏FCインタビュー

    2011年、大手居酒屋チェーン「北の家族」から独立を果たした本間保憲氏率いる株式会社CANVAS。氏がこれまでのキャリアで得た業態開発、マーケティング、ブランディングのノウハウをいかした展開力と、地域に合わせた丁寧な店づくりを徹底する個店力を兼ね備える店を展開する。そんな同社が特に力を入れているのが、人材教育だ。「地域で長く続く店を一緒につくっていきたい」と話す本間氏。地方でも質の高い教育をリアルタイムでうけられるシステムを開発し、同社が誇る人気店「板前バル」のライセンス展開とともにリリースした。今回は、CANVAS成功のエッセンスがつまったライセンスパッケージについて、本間氏にうかがった。

    —まず創業の経緯をお聞かせいただけますか。

    DSCF6548飲食の世界に初めて入ったのは、地元・山形のフレンチレストランでした。料理の勉強にと思って入ったんですが、全然続かなかったんですよ。2年くらいで辞めてしまって、東京に出てきてフラフラしていたんです。たまたまアルバイト情報誌を見て入ったのが居酒屋チェーンの「北の家族 町田店」。僕が入った当時は、13店舗くらいでしたが、そこからどんどん店舗数を増やしていて上り調子でした。そこから数年で100店舗を超えて、上場。僕は店長からマネージャーになって、部長、役員と歴任しました。結局そこに20年ほどいましたね。その間に、上場も、倒産もあって、4回もオーナーチェンジしたんです。そのなかで一番大きかったのは、セラヴィリゾートという会社がオーナーになった時、いろんな業態に挑戦できたことですね。僕も業態開発に携わりました。新しい会社と一緒に居酒屋以外の業態を立ち上げたり、店舗開発をしたり。ピーク時は全国で280店舗くらいありました。
    そこで20年間飲食店経営のいろんなノウハウを勉強させてもらいました。それで、2011年4月にCANVASを立ち上げて独立しました。

    —飲食店の業態開発からマネジメント、ブランディングなど20年間で実績を積んでこられて、独立と。独立一号店はどちらですか。

    一番最初が六本木のミッドタウン向かいに居酒屋「阿波尾鶏」。もともとエイチアイシステムの時に運営していた店舗だったんですが、倒産時に僕が引き継ぎました。2011年2月から会社設立準備をはじめて、3月には東日本大震災。まわりには絶対やめたほうがいい、と言われたんですが、ちょっと待て、と。3.11で想像を絶することが次々と起きたわけじゃないですか。今後自分が生きている中で、これ以上のことは起きないんじゃないか、だからこそ今スタートすべきなんじゃないか、って思ったんです。それで、4月に会社を設立して下旬には「阿波尾鶏」をオープンさせました。ですが、やはりお客さんがこない。半年間は毎月毎月200万円くらい大赤字でしたね。

    —そこからどう立て直していったんですか。

    いわゆる飲食店の基本を守っただけです。10月くらいからぼちぼちお客さんが来だして、そこから上り調子。結局初年度は1億円くらい売上げたんですよ。営業利益でいうと、1000万円くらいでしたね。前半の赤字が続いた時期はどうやってお金をまわしていたのか、記憶がないんですよ。(笑)

    —これまでの経験、ノウハウ、実績があってこその立て直しですね。

    本当によかったです。会社としては、もともと「飲食のプロ集団を目指そう」ということを理念にしていたので、展開していくことが前提でした。で、翌年7月、銀座三丁目に「板前バル」一号店をオープンさせました。

    <「板前バル」スキームの要は人にあり。居酒屋チェーンの人不足と和食業界の人余り>

    —「板前バル」のコンセプトはどこから着想を得たんですか。

    螟冶ヲウ「北の家族」を20年間やってきて痛感したのが、居酒屋チェーンの人手不足。うちも例に漏れず困っていました。そんな時にたまたま、知り合い調理師会に入っている和食屋さんをされている方から、「うちの若い衆を預かってくれ」と依頼されたんです。今から17、8年前。居酒屋チェーンがどんどん大きくなっていた時代ですね。その背景では、割烹や懐石料理店はどんどんなくなって、若い和食の料理人の行き場がなくなってしまっていたんです。それで僕のところに声がかかったというわけです。僕もこれはすごくいいスキームができたなと思いました。和食縦社会での世界は縦社会で、すごく厳しい環境です。働く若い人も凄く真面目。「オヤジのいうことは絶対」という感じでね。我々にとったら良い人材だなと。(笑)でも、いざ入ってみると、休みを週2日もらえて、残業代も出て、ボーナスももらえてと環境がいいとサラリーマン化しちゃって、どんどんグータラ人間になっていっちゃったんです。それを見て、こんなんで和食って大丈夫なのか、と。和食の人材をしっかり教育できる体制が必要だと感じたんです。それができる飲食店にしようと思って作ったのが「板前バル」だったんです。

    —具体的にどのような人材を育成するんですか。

    DSCF6534マーケティング、マネジメントができる職人です。北の家族時代に、僕は商品開発も見ていたんですが、料理人がいないとどうも見てくればかりに走りがちになってしまう。盛りつけとか食材、器とかでごまかしちゃうんですよ。それで、総料理長はじめ料理人の教育を担当していたんですが、職人だからこだわりが強くてなかなか思い通りにいかない。「俺のうまいから食ってみろ」って感じの人が多くて(笑)。そうじゃなくて、職人と言えどお客さんの要望に合わせて、料理をカスタマイズできなきゃいけないんですよ、これからは。「マーケティングの感覚、思考が必要なんだよ」と教えていたんです。うちのコンセプトの中で、飲食のプロフェッショナルには3つの要素が必要だといっています。一つは技術・経験、もう一つはマネジメント能力、もうひとつはマーケティング。我々が言うマーケティングとは何かというと、お客様のニーズを知って、それに会わせて食事なりサービスなりを提供できるというのが、定義です。マネジメントは、ヒト・モノ・カネの管理。この3つをバランスよく発揮できる人が優秀な人で、特に料理人はこの3つをバランスよく自分のものにしていくと無敵になる、というのがうちの考え方です。

    —経営、マネジメント、マーケティングができる職人を育てられているんですね。

    そうです。こういった人材と教育ノウハウを背骨に、お客さんにしっかり中身を伝えていけるような商売は、長く継続していけます。地域のお客さんに長く愛してもらうには、経営感覚のある職人が必須だと思いはじめたんです。「和食の料理人」を総称で言うと、「板前」。それで、2012年開業するときに、板前をキーワードにしようと。もうひとつ飲食ビジネスに大切なのは、ブランディング。ある程度トレンドに踏み込んだブランディングが必要です。オープンした2012年当時はバルブームでした。その流れをうけて、リーズナブルに本格和食を、バルスタイルで提供するという業態に行き着いたんです。

    —なるほど。料理人がいないと人材不足に悩んでらっしゃるオーナーさんが多い中、御社はどこから料理人を集めてくるんですか。

    料理人の間には、ある程度ネットワークがあります。そこから紹介や話をうちの話を聞いてやってくる人も多いですね。また、うちにはマーケティングなど料理以外のことも学べる環境が整っているので、そこを求めてくる料理人も多くいます。

    —現在、「板前バル」には料理人は何名いらっしゃいますか。

    直営店舗で28名です。

    —専門学校からの採用はありますか。

    はい。専門学校の先生方も、僕らのビジネスモデルに賛同して協力いただいています。「うちの生徒を引き取ってもらえませんか」という相談はよくいただきますね。特に地方の学校からのオファーが多いんですが、社宅を用意したりなど、よりコストがかかってきてしまうので、これからのFC展開では地方をメインに出店していきたいと思っています。

    <独自の教育システム“極システム”>

    —マネジメントやマーケティング面の教育していく仕組みはどうなっていますか。

    現在、社内では月に1回の「飲食プロ塾」を開催して、僕が直接料理人たちにマーケティングなどについて教えています。これを展開用に仕組み化した「板前極システム」を今回のライセンスの中で提供していきます。

    —「板前極システム」というのは具体的にどういったものですか。

    まずは“板前”の技術面でいうと、クラウド上にレシピをのせていつでも動画で閲覧できるようにしています。例えば、「板前バルの刺盛り」というメニューがあるんですが、そのレシピや作業工程、調理ポイント、盛りつけ例などを動画でアップしていくというイメージです。うちは和食なので、季節に合わせて旬の食材を取り入れてどんどんメニューも変えていきます。その際に、板前によってブレがでないようにするのがこの仕組みです。

    —この教育システムがFCパッケージについてくるんですね。

    基本プランのオプションとして利用いただけます。また、うちはFCではなく「ライセンス」と定義しています。その違いは、バイジングをするかしないかです。一般的にFCにはスーパーバイザーがいて、バイジングする。うちのライセンスは、スーパーバイザーを置いていません。バイジングする人が板前なんです。だから、板前付きのパッケージを基本プランにしています。この基本プランとは別に、うちの板前によるバイジングの代わりに、この板前を育てるシステムもありますよ、とご提案しています。

    —板前付きと、そうでないパッケージがあるということですね。特に板前が付いていないパッケージについては、「板前極システム」で補完していくというイメージ。

    そうですね。料理人には、まずうちで研修していただいて、その後、自店に戻ってシステムを利用しながら現場でいかしてもらいます。自社の料理人にもっと勉強させたい、というオーナーさんにはうってつけだと思います。

    —CANVASから出る板前の派遣期間は。

    出向という形で1年です。この間に新しい職人を自社で雇用した、もしくは今後の料理長候補にマンツーマンでつけます。

    —このシステムを利用する料理人の経験は、どれくらい必要ですか。

    DSCF6539経験は問いません。そもそも「板前」とは、一般的には「和食店で修行してきた人」という認識ですが、僕らはそこにこだわっていない。洋食からうちに入ってきても、バランスよく成長すれば彼も「板前」です。それがどれくらいの期間で成長できるかは、やはり個人の努力によるところが大きいですね。望めば板前として成長できる環境は整っています。なかには1年で板前になる人もいますよ。

    —システムには、調理技術以外のマーケティングやマネジメントについては、具体的にどのようなものが含まれますか。

    例えば、SVチェックやマニュアル管理表など、飲食店運営に必要なものは一通り入っています。「技」「マーケティング」「マネジメント」とカテゴリを分けてシステムに入れています。

    —店舗ごとのメニューの自由度はどれくらいありますか。

    グランドメニューは、本部のレシピ管理で固定しています。これにプラスして季節のおすすめが20~30品あります。この部分が板前たちの自由にできるところです。自由といっても人によって差がついたり、ブレが出ないようにうちの総料理長が管理します。例えば、うちは各店お通しに力を入れているんですが、営業前に「もうちょっとポーション上げましょう」とか「盛りつけの色合いを修正して」などのチェックをしてから、お客さんにお出しします。こうやって他の店舗のお通しやメニューを共有することで、これを見ている全料理人が切磋琢磨するようになるというメリットもあります。

    —料理人としても創作意欲がわきますね。

    そうですね。他の店に負けたくない、と。それも料理人の習性なんですよ。

    —板前や料理人というととても属人的なイメージですが、教育システムをしっかり整備することで、展開可能性を高めているんですね。

    DSCF6538そうですね。僕たちが重きをおいているのは板前のブランディングです。板前をブランディングできると、長く商売ができる。それはなぜかというと、お客さんのニーズにきちっと対応できるから。常にお客さんのニーズに合わせて商品開発ができたり、パッケージのカスタマイズができたりも可能になってきます。よくご相談いただくのは、「人をどう管理していいのかわからない」「商品開発をどうやってしたらいいのか分からない」「どう業態開発したらいいのかわからない」ということです。うちはパッケージは自社業態を運営するのに近いものなので、そういった方々にご提案したいですね。基本的には自由に運営できるんですが、人材を育てていけるレールはしっかりひきます。ここがうちの一番の差別化ポイントだと思っています。「板前バル」を1店舗やってもらうと、自社ブランドの作り方や人材教育など、一通りのノウハウが全部つまっています。

    —というと、「板前バル」の看板でなくても問題ないということですか。

    そうですね。ただ板前バルのブランディングや認知度にのっかった方がいいですよ、とはおすすめしています。

    —対象企業の基準は。

    最低1~2店舗飲食店を経営している、もしくはしたことがある企業です。であれば、経験年数は問いません。現場に丸投げしているオーナーさんではなく、しっかり現場に関わって把握している方がいいですね。

    —板前バル直営店の平均売上は。

    お店の規模によっても変わりますが、少なくとも坪25万円前後はいきますね。

    —対象エリアは。

    特にありませんが、今我々が特に力をいれているのは、地方の展開です。地方版コンセプトとして、「地元の食材を使った板前バル」というのを掲げています。地元でとれたきゅうり、トマト、三陸でとれた魚などです。地場でとれたものってすごくおいしいじゃないですか。それに、地元のオーナーさんは、地元を大切にする人が多い。それを板前バルとして商品に仕上げて、お客さんに訴求していければいいなと。

    —基準の坪数は。

    最低20坪。それ以下はおすすめしないです。

    —今回ライセンス展開しようと思ったのは、地方の食材や人材を発掘したい、というところが理由ですか。

    それもありますし、長く地元で愛される店づくりを一緒にやりたいんですよ。突発的に儲かる店ではありませんが、ずっと右肩上がりで長く続くお店づくりができます。

    —最後にオーナーさんにメッセージを

    お客さんのニーズに常に対応していけるのが、我々の強みです。お客さんが一番求めるものは、“本物”。本物の商品やサービス、マネジメントを提供していくために大切なことは、本物をやれる人。そこを逃げちゃダメなんです。コンセプトや食材ではごまかせない飲食店の肝です。うちは人ありきの店をやっているので、しっかり運営をやっていればこけることはありません。「板前極システム」の中でも何回も出てくるキーワードが「当たり前のことを当たり前にやる」ということです。それを一緒にやっていける方を募集します。
    (本間保憲プロフィール)

  • お客様と末永くお付き合いするために健康的な食材にこだわります

    イタリアトスカーナのサンタンブロージョ市場にある、すこぶるおいしい屋台の牛塩モツ煮つまみにハイボールやサワーなどで気軽に下街イタリアンをおっさんに味わってもらいたいという想いからスタートしました!
    お客様と末永くお付き合いをするため千葉の無農薬農園さんの新鮮健康野菜を使ったり、ブロード(出汁)や発酵調味料などを使うことで科学調味料をできうる限り使わないで調理しておりますが、味付けはしっかりしてますので酒飲みのお客様の味覚にも充分応えます。どうぞご安心してお召し上がりください!

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